マーサ・ヘブンストンの美


 彫刻家マーサ・ヘヴンストンと初めて出会ったのは1994年だ。僕は初めてみるタイプの彼女の作品群に少々面食らった。


 大変美しいと思ったが、今まで見たことがないタイプであるがゆえに、その時はどこが美しいのかわからなかった。


 今になって考えてみると、マーサのこの時期の作品が大変美しい理由は、そのシンプルさにあるのではないか。


 シンプルで無駄のない形というのは、何も卵のようにすべすべしていることだけを言うのではない。マーサの仕事は、発想から作品の実現までの過程に無駄がないように思われるのだ。


 例えば、彼女のトレードマークとなった、セラミックによるベンチワークのシリーズでは、彼女は独自の技法を創り出している。


 スタイルフォームを使い、金網とコンクリートで強化した基礎体を作る。その上に自分が作りたい形を粘土で成形し、乾燥したのちに、それを焼いて、再び基礎体に張り付けるというものだ。


 コンクリートの基礎の上に、粘土で成形すれば、乾燥した時には収縮してひびが入ることになる。そこで、彼女は成形した粘土に最初から切り目を入れる。そうすることで、彫刻は、ある種の美的な分割による、モザイクのような様相を呈するのである。


さらに乾燥した一つ一つの断片を窯で焼けば、それらはさらに収縮する。


 顔料と釉薬によって着彩され、焼きあがったピースを、基礎のコンクリートの上に戻すときには、ピースとピースの間には、大きな溝ができている。これを目地材で埋めるのである。時には広い目地の中に、タイルの破片を埋め込むこともある。さてこの目地は、作品の見た目を損するどころか、作品を構成する、生きた素材として主張を始めるのである。


 マーサが、この完成された手法に行きつくまでには、どれくらいの試行錯誤があっただろうか。それは外からはうかがい知ることができない。


 しかし、結果として出来上がったものには、ほとんど無駄が感じられない。形、彩色、技法、必要最低限の技術、これらがすべて、一つの生命のうちに調和している。あえて言えば、やましさというものがないのである。そこに純粋な美を感じる。


 彼女は、かつて、この技法を生み出した理由を「大きい作品が作りたかった」と説明したことがあった。この方法によって、野外において人々が乗っても壊れない、耐久性のある作品ともなった。


 彼女が魅了されてきたセラミック(陶)を使って、大きく、人との触れ合いを可能にする彫刻作品を夢見、無心にそれを実現しようとする中で、一つの形に行きついたといえそうだ。


そしてその無心さが彼女独自の美を生み出したといえようか。


欲求は意図の母であり、意図は行動の母であり、行動は結果の母であると言った人がいた。


自分の想いを形にすること。


僕も、今関わっている学生の皆さんと、幾たびも話し合ってきた。


そのプロセスの中で創造が生まれる。それは、誰も未だかつて見たことがないものともなるはずだ。


夢を実現するということも、また同じことであろう。



2020/10




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