北陸の書家

更新日:1月20日



先日、仕事で富山まで出かけた。

大阪から出発する特急サンダーバードは金沢が終着駅だ。そこからは在来線で移動した。


この日、日本海には強い寒気が停滞していた。今にも雪が降りそうな夕方の曇り空の中を、サンダーバードは進んでいく。


途中で日が暮れてしばらくたったころ、列車は福井駅のホームに滑り込んだ。アナウンスを聞いて福井に到着したことを知ると、僕は窓の外に向かって手を合わせた。


「素通りで失礼します。」


この駅のホームを見るのはこれで2回目だ。一度目は、当時福井市在住の書家の故加藤曙見さんと、お父様で彫刻家の故加藤恒勝さんを訪ねた時。


加藤曙見さんが60歳の若さで亡くなられてから、もう何年たつだろうか。お父様が亡くなってあまり間をおかなかったと記憶する。毎日新聞の福井県版にお父様がなくなられた年は記録が残っている。2006年に84歳にて逝去。


加藤曙見さんとは島原で開催されたイベント「春爛漫展」でご一緒させていただいてからのお付き合いであった。島原には何度も来られているので、よく覚えている方も多いに違いない。


よく手紙もくださった。そこには決まって自分の書についてのその時々の心情がつづられていた。おおむね、まだまだ思ったように書けないという内容だったように思う。


さて、先述したように、加藤さん父娘をここ福井に訪ねたのは1996年春のことだった。お父様は地元で有名な彫刻家で、しかも片腕の彫刻家であった。70年前の福井地震の折、映画館にいた26歳の加藤さんは、がれきで左腕を挟まれて動けなくなっていた。脱出するために近くにいた映画技師に斧で左腕を切断してもらったのであった。


見るからに小柄で細身の彫刻家の魂は激しく剛毅であった。その後は小学校の教員をしながら彫刻を作り続けてきた。片手で石も彫った。案内された自宅はすべて彫刻で埋め尽くされていた。野武士のような雰囲気があったが、若い僕に対してとても丁寧に接してくれる紳士でもあった。


今から思えば、娘の曙見さんもこのような気質を受け継いでおられたような気がする。清楚で穏やかなお人柄だったが。


曙見さんとは何度も島原でお会いしたが、福井でお会いした時のほうが何故か印象が深いように感じる。それはやはり曙見さんが北陸の人だからなのではないだろうか。


今度も数年ぶりに北陸に来たが、この土地の持つ雰囲気は相変わらず芳香匂い立つがごとき豊かさであった。またこの奥深い感じ。このような北陸の空気を背景にすると、曙見さんの静かさの秘密がよくわかるような気がする。


所属していた団体を離れて、一人自分の道を征かれた。やはり剛毅な人であった。


訃報を聞いてから、いつかまたかの地を訪ねて、墓参りをしたいと思っていた。


不覚にも残されたご家族の連絡先が手元にない。


だが、のんきな僕は、いつかお墓に行けると心のどこかで確信している。その時改めて新しい加藤さんと北陸に出会えるような気がする。


2021/12/29



源 1996年作

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