最近、インターネットで、あるアマチュアテニスプレーヤーの話が目に留まった。
彼曰く
「テニスのボールは、相手をめがけて力任せに強く打ち返そうとしていると、肩を壊してしまうだけ。実はボールをミートするとき、ボールが飛ぶ反対の方向に体をねじっていて、ラケットの回転と、そのねじれの運動が、ミート時に一致する瞬間、最大のパワーを発揮する」そうだ。
なかなか意味深だ。
腕力だけではないということだな。もし腕力だけが強いボールを打つ秘訣なら、プロレスの選手がウインブルドンの優勝をさらってしまうことになる。
これはテニスに限らず、スポーツの世界では共通することのようだ。物事の作用ということの秘密がここに在る。
さて、いわばこの作用の不思議は、人生においても多く起こるのだろう。その一つが病気だ。
僕は、これまでいろいろ病気もしてきたが、一番苦労したのは、35歳からかれこれ20年以上も付き合っている大腸の病気だ。
病気は嫌なもの、避けるべきものに違いない。事実、実に苦しい思いをする。一度は医者に、これ以上進んだら、命に危険が及ぶと言われたこともある。しかし時がたつにつれ、この病気が悪いことばかりではなくて、実はいいことも、たくさん自分にもたらしてくれたことに気づくようになった。
その一つとして、病気が僕にもっとリラックスすることを、教えてくれていたように思う。
症状が出ているときは体が動かない。痛みもあるし疲れ切ってしまうから、寝ているほかはない。要するに、是が非でも力が出せない状態になる。そう、腕力はそぎ落とされるのだ。
ところが、不思議なことに、この20年で、ずいぶんとたくさんの彫刻を作ることができた。その時はわからなかったが、今は自分が味わった“弱さ”のお陰であると思っている。
病気が、弱さの持つ作用というか、別の言い方をすれば、弱さのアドバンテージというべきものを教えてくれたように思う。どのようにそれが作用したのかは、まだわからないが。
もう一つよく分かったことがあった。病気というのは、最初から自分の中の何か行き過ぎたところを直してくれようとして、体が引き起こしたことではないかということ。この言説は以前にも聞いたことがあった。しかし病気の苦しさにばかりに気が取られて、そんな風に思うことは到底できなかった。
最近また軽く症状が出た。その時ゆっくり考えて見た。すると自分の心のちょっと隠れた部分をか垣間見ることができた。ぎゅっと握りしめた拳のような心がそこにあった。よく頑張る心でもあった。「ああ、これだ。」と納得した。
いつごろからこのような心になっていたのだろう。実は自分でもわかっていて苦しんでいたのだが、病気がこのことを改めて教えてくれ、そして一緒になって心を癒そうとしていたのである。
2023/4/24
「平べったい形」 御影石 木 2008
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