先週の日曜日は母の日であった。
当日来客があって、母と過ごすことができなかった。先日遅ればせながら花を贈ったが、何も気にしていなかった風の母がえらく喜んだ。
たまたま私の花が一番大きかったようで、弟二人が贈った花が置いてあるところにそれぞれ案内したあとに、これ見よがしに玄関の一番目立つところにそれを置いた。母は、息子三人から贈られた花を眺めながら満足そうである。
母についての思い出はいろいろある。
3人の子供を化粧品の営業車に乗せては一緒に歌を歌っていたことや、弁当の卵焼きがクラスで一番大きかったことなども忘れることはできない。
数ある思い出の中で、僕にとって大変衝撃的だったものがある。
子供のころ、冬場には友達と一緒に凧を揚げた。最初のうちは奴凧、そのうちにゲイラカイトが流行るようになった。僕は良く糸を絡ましてしまったものだったが、自分でそれを直すことはできなかった。それを母に頼んだら、翌日には必ず、きちんと糸巻きにまかれた糸が玄関先に置いてあった。
僕は大人ってすごいなーと思ったものだった。
確かにこれは大人が子供に見せてあげるべき最良のことのように思える。
ところが僕はこういったことがいまだに苦手だ。
特に掃除がだめで、僕には整理能力が皆無化と思われる。アトリエの掃除をするときも本当にはかどらない。手に取った物をどこに置こうかと悩んだ挙句、また同じ場所に置いてしまうという始末だ。
母はそんな僕を見かねて、たまにアトリエの掃除をしてくれることがあるが、ものの見事にきれいにしてしまうのだ。
「私は花をいじるのと、こうやって掃除をしているときが一番幸せなのよ。」
それを聞いた僕は、いっそ母に僕のお掃除おばさんになってもらおうかと思ったが、さすがにそれはいいだせないでいる。
マインドフルネスという言葉が、今静かにはやっているようだ。言葉の意味は今この瞬間に心を置くというか、目の前のことを十分に味わうことを言うらしい。心ここに在らずにあらずということなのだろう。
この心の在り方を説く本を読んで、僕も少し実践してみたところ、非常に気持ちがいい。僕が試みたのはマインドフルな状態で掃除をやるということだった。結果は掃除が上手く行った。このことから、僕はほとんどの時間を、心ここに在らずの状態で過ごしていたことを知った。
片付ける才能がないと思っていたものが、実は心の在り方の問題だったのだ。
母はきっとマインドフルに花を眺め、掃除をし、自分自身の心が確かにここに在ることを楽しんでいるのだろう。
母に学ぶこと多し。
いつまでも元気でいてほしいと思う。
又、世の母たちも、子供たちのために元気でありますように。
2022/5/15
母鳥の想い 2013
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