輪島の突進



北の湖、若乃花、輪島と言ったら、僕が小学生の頃の花形横綱だ。


 この時代は、テレビアニメの全盛期。僕ら昭和四十年代の生まれは、テレビっ子、アニメっ子と言われたもの。そんな中で、相撲を好んで見た子供は、あまり多くなかったかもしれない。 


例にもれず、アニメっ子だった僕が、相撲をよく見ていたのは、祖母の影響である。


 おばあちゃん子であった僕は、幼稚園のころから、高校を卒業するまで、毎週土曜日には、祖母の家に泊まりに行った。家が二つあるようなものである。中学生のころには、祖母の家に自分の部屋も持っていた。


この祖母が、大変な相撲好きだった。


それで僕も一緒に相撲を見ていたというわけ。


 場所のあるシーズンに祖母の家に行くと、テレビには必ず相撲の放送がつけっぱなしにしてある。横綱の土俵入りともなれば、祖母の瞳はうっとりとなって、横綱の一つ一つの所作を追っていく。


 若乃花が大好きで、北の湖は強すぎて憎たらしいと言っていた。輪島には、どこか一匹狼のような雰囲気が漂っていた。


 一国の国技である相撲の、そのまた頂点を極める横綱の華々しさや、威厳というものは、小さい僕にも伝わってきたものだった。


 時が過ぎて中学生になった僕は、相変わらず祖母の家に通っていたが、そんな横綱たちも次々と引退していった。千秋楽で北の湖を破って優勝した、千代の富士の登場によりウルフ時代が始まった。


「輪島が、プロレスに転向」


 というニュースを聞いたのは、いつ頃だっただろうか?調べてみると、デビュー戦は、1986年11月1日、石川県七尾市の総合スポーツセンター、とある。輪島は、ここ七尾市の出身である。


(あーそうか、だから輪島なんだな。)


 石川県七尾市は輪島塗の産地。


 ちなみに、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した絵師、長谷川等伯の故郷も同じく七尾である。


 1986年と言えば、僕が大学1年生のころ。アパートにテレビはなかったから、コンビニの雑誌置き場の新聞を見たに違いない。それを知った時は、「え?」という感じだったのを覚えている。何か腑に落ちない。別にプロレスが嫌いなわけではない。(ちなみに祖母は、プロレスも大好きだった。)しかし、あの横綱が、、。


 そしてどこかのテレビで、(たぶん、一人で、ラーメン屋かなんかに入った時ではないか?)輪島の試合を見た。


 悪役に囲まれて、やられまくっている。タッグを組んだ相手は助けに来ない。そして、次の瞬間、目を疑う光景が、僕の目線を襲った。


 輪島が、立ち合いのような姿勢から、手を前に突き出し(ゴジラのような格好)、相撲取りさながら、突進したのである。しかも、リングの端から端まで駆け抜けたのであった。


 あっけにとられながら、僕は、だんだんと悲しい気持ちになっていった。もう完全に笑いものである。あの横綱が、こんな姿になってしまって。


 僕は、輪島をこんな目に合わせた、テレビやら、プロレス業界やらに怒りを覚えた。もちろん、輪島自身にも。


 あれからずいぶん時は流れたが、僕は今まで、その時のことを、時々、思い出していたような気がする。そしてもう五十をとうに過ぎる年齢になった。輪島も、もうこの世にはいない。




そして、今なお、あのテレビで見た輪島の突進を忘れることができない。


 僕の人生を通じて(と言ってもいいだろう)、あの映像が僕の頭から離れないのはなぜだろう?


ただ、少なくとも、今は、あの頃のように、輪島のあの姿を、悲しいとは思わない。


二十代のころは、綺麗でないことが許せなかったのだろう。


今はそうでもない。


あの輪島の突進する姿が、僕をどこかに導いているのかもしれない、とでも思っているのかもしれない。



不器用な鳥 2011

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