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言葉の力

更新日:1月30日


 大学生の時、先輩がこんなことを言った。


「野島君は目標を持たないの?目標を持とうよ。」


その時の僕にはこれと言って目標はなかった。それでもその先輩がそういうから、一晩考えて自分の目標をひねりだした。それは、「世界一の彫刻家になる」であった。


普段何にも考えていないような奴が、いきなり目標なんか考え始めると、こんなことになるのだろう。心に何もないがゆえに、突き詰めて考えていくとこのような結果になるのである。それでともかくその目標を紙に書いて目に見えるところに置いた。


ところがこの目標「世界一の彫刻家になる」は今でも僕の背中を押し続けている。40年近く背中を押し、はるか前方からひっぱってくれている。これだけでもすごいことだ。言葉の力を感じる。言葉とは祈りと一体なのだ。だから私は今でも「世界一の彫刻家」を目指している。


この目標を掲げてから、僕の制作に変化が起こった。どのようになったかというと、皮肉にも彫刻がすさまじく下手になっていったのである。それまで割と器用に形をとらえていた(と思っていた)が、全く形を作ることができなくなってしまった。彫像の心棒からは干からびた粘土がぼろぼろと崩れ落ちていった。


そんな状態は卒業まで続き、その後も形をうまく作ることはなかなかできなかった。見るに見かねた石彫の渡辺隆根先生が、「石は壊れないぞ」と、石彫を勧めてくれたのが石を専攻した理由の一つだ。


今振り返ると、この時のスランプが僕を彫刻のエッセンスの中に押し入れてくれたように思う。小さな器用さを叩き直してくれたのではないか?「世界一の彫刻家」になるためにはそれまでの自分ではだめだったということだ。このスランプによってより可能性が開けたと思っている。言葉はフレームでであり、言葉は孵化室である。


もう一つ、目標がかなってしまったという話。僕の住む島原市内にこれまで、20か所以上もの公共スペースに彫刻を設置することができた。世界広しと言えども、こんな小さな町にこれだけたくさん作品を設置した彫刻家はあんまりいない。世界一レベルと言ってよい。(もちろんこれを可能にしてくれた関係者の皆様に心から感謝している。)世界中、あるいは日本中に何十個も巨大な彫刻を作る彫刻家は山ほどいるのだが。何だそんなこと、と思われても目標が言葉の上でも達成されたことに変わりはない。


「世界一の彫刻家になる」という言葉は、まだまだ僕を彫刻の道に進ませてくれようとしている。ただそれはあくまでも僕らしい歩みになるはずだ。


そしてこの言葉を導き出してくれたのは、あの先輩の誠実で、清らかで、さわやかな心根であったと懐かしく思い出す。ダイヤがダイヤを磨くとはこのことである。

 

2024・1・19


私の手と彫刻(永田久美子さん撮影)

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