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作ったつもり

 私は、歌を歌うのが好きである。ところが人前で歌うのは大いに苦手で、もっぱら私が歌うのは風呂場と車の運転中ということになる。


 妻が言うには、風呂場から歌声が響いてくるので、結構大きな声で歌っているらしい。歌を歌うのが好きなのは、歌うと気分がいいからである。風呂の中だからかもしれないが、とても幸せな気持ちになる。今日はちょっとうまく歌えた、とひそかに喜んでいることもある。


 最近はスマホに録音機能がついていて、簡単に自分の声も録音することができる。恥ずかしいから妻がいないところで自分の歌を録音してみた。結果は、あらららら、、ちょっと残念。であった。うーん、これは聴けたものではないな。


 自分で気持ちよく、しかもまあまあ、巧く歌っているつもりでいたが、声は籠っているし、一つ一つの言葉ははっきり発音されていない。それを思うとプロの歌手というのは大したものである。


 さて、最初にこの話をしたのには理由があった。実は彫刻を作っているときも同じであると思ったからだ。彫刻は、石や木を彫ったり削ったりして形を作っていく。ところが私が何時間も石に向き合って作業をしても、全く形が進まないということがある。しかも、制作における多くの時間をこのように過ごしているという事実がある。これは恐ろしいことである。


 これは、本人が形を「作っているつもり」になっているという状態と言えばいいのか、。


 このような時にはいくら頑張っても何時間やっても進歩はない。ただ石が小さくなっていくだけである。これは先述の歌を歌う場合では、歌を「歌っているつもり」ということになるのだろう。いくら歌っても進歩はなかった。(気持ちはいいのだ。)


 このような状態を脱するには、思うに「気づく」ということ以外にはない。ところがこの「気づく」というのがとても難しい。


 先ほどの話では自分の歌を録音して、外から聞いてみると、プロとの違いがよく分かった。そこまではわかるが、問題はその先である。彫刻の世界でも外国の美術館に出かけて行って、ヘンリームーアなどの巨匠の作品を目の前にしてみると、形と言ってもそれは、全く別物であった。それは素晴らしいものであった。そこまでは気づくことができる。


しかし大事なのは、その先を気づかなくてはならないということなのだが。


2023/10/31


* ヘンリ・ームーアは20世紀を代表するイギリスの彫刻家。




「やまがアート」展示 2023


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