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「わかった」の喜び


ここ最近、彫刻の形に関する理解が進んだ、という実感がある。


どこがどう進んだのか、説明しろと言われると、なかなかそれはむつかしい。ものを造る人なら、そんなことは良くあるのではないだろうか。


もう、かれこれ30年以上彫刻を造っいて、ようやく


「あ、そうか。」


となった訳だが、人によっては、この問題を、もっと若くに解決している人もいるだろう。


20代の半ばとか、30代とか。


才能に恵まれているとか、いい先生に出会ったとか。


まあ、人それぞれ。



ついこの間、学生と話をしていて、その学生が言うには、


「昔出来たことが、出来なくなることがあって、怖くなる時がある。」


とのこと。


大変才能に恵まれた若者だ。



確かに、パッとできてしまうと、「出来ないということ」を経験し損ねる。



これは確かに別の意味で怖いことに違いない。


このテーマはずっと考えてきたことでもあるので、また、別の機会に書いてみたい。



今日、言いたかったことは、自分が何か解ったことを、他人が同じように理解できることはないだろうということ。


それは、その人のタイミングで、その人のシナリオで、その人のブレンドで、ある事をわかるのだ。


人は、それぞれ、驚くほど、違うのだと思う。



ともかく、どんなに年をとっても、新しい「わかった」があるのは嬉しいことに違いない。


「わかった」は、過去の意味合いさえ変え、未来を大きく変えることにもなるのだから。





小品の仕上げ作業 4/20/2021

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